先日、長女が朝読の本を買いたいと言うので、本屋さんへ行きました。
いつものように青春ど真ん中小説と
めずらしくミステリー系の小説と
そしてもう一冊
『これも読みたい!』 と
持ってきたのがこの本でした。
『14歳の君へーどう考えどう生きるか』
池田晶子さんの本です。
彼女は哲学者なのですが哲学者という肩書きがあまりお好きではなく、文筆家と名乗って活動されることが多かったようです。
そんなエピソード通り、そしてこの本のタイトル通り、
彼女の哲学は子どもにも理解できる言葉で語りかけるように綴られています。
【哲学エッセイ】という感じ。
以下 本書の【個性】という章より。
たとえば人は、「本当の自分はこんなじゃない」と言う。あるいは「本当の自分が見つからない」と言う。そう言っているその自分とは別の、何か違う自分があるはずだと、こう思っているんだね。だけど、おかしいと思わないか。「違う」「そうじゃない」と言っているその自分とは、ではいったい誰なのだろう。それは自分じゃないのだろうか。 どこかへ探しに行かなくたって、自分は、いま、ここに、確実に存在しているじゃないか。
複雑でせわしない今の世の中、
精神世界やスピリチュアルな世界論はとても多く、そういう導きにヒントをもらったり救われることもあります。
哲学ってそれとは対極かもしれません。
考えれば考えるほど難しい問題になる場合もあるし、今まで当たり前に鵜呑みにしてきたことをわざわざ掘りかえさないほうが楽かもしれない。
でも
考えるという、すごく人間くさい部分はやっぱり素晴らしい。
思えば私が中学生の頃
私っていったい何なんだろう、とか
気持ちってどこからやって来るんだろうとか
【生きている】ということをぐるぐると考えた時期がありました。
それは一時期 次のテスト範囲よりも好きな男の子のことよりも私の中では深刻で
こんなことをややこしく考える自分はどこかおかしいんじゃないか、なんて思うと
親にも仲の良い友達にも話せなかったなぁ。
あの時の自分にこの本を読ませてあげたいと思いました。
長女はもうすぐ14歳。
まだ感想は言いませんが、少しずつ丁寧に読み進めているようです。
丁寧に読み進めている、と思うのは
ライトノベルを読んでいる時の顔とは違うから。
自分で物事を考えて答えを出していく場面がこれからどんどん増えるでしょう。
いくらデジタル社会になったって
人が考えるということの価値はなくならない。
今14歳の君にも、
昔14歳だったあなたにも読んでみてほしい。
今日はそんな本の紹介でした。